まずは先日のJR事故の犠牲者の方々には、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

連日、あの事故の報道が続いていますが、最近報道の焦点がぼやけている。
特に気になってのが、ボウリング大会の報道以後。
事故直後の報道はとにかく事故原因を明確にし、また被害の状況を明確に報道するものが多かった。
しかし、原因の主たる部分が(乱暴な言い方だが)「スピード違反」ということがほぼ判明してからは、報道の内容が幅を持ち事故原因を明確にするためのものからは離れている。

具体的にいうと、JR西日本の体質批判。
JRがわるいという前提のもとでの調査・報道で、すこしでもつつけるところがあれば、つついて批判するような報道になっている。
ボウリングの件なんかは2日も3日も報道できるような内容ではないし、ほかの支社のゴルフコンペや海外旅行なんて、わざわざ貴重な電波放送にのっけて放送し、一般市民が知る必要のあることなのだろうか?
肝心の事故原因は調査委の報告待ち、ほかに報道できる内容がないから、ボウリングとかいろいろ掘り出して報道し、一般市民の注意を引き続けるための報道であると思う。
まったく報道する必要のない内容とはいわないが、これほどまでに長時間をかけて報道する必要はないはずだ。

電波が公共のもので貴重であると主張するならば、その自覚をもって、誰にとっても有益で価値のある報道を心がけてほしい。

ただ、きちんとした事故報告がされるころには、メディアの関心はほかに移っているのでしょうね。
BBSにも書いたが年金の話。

高齢者の最低限の生活保障のためならば、税金にするべきなのかな?
年金が自分の老後のための保険であるならば、民間の個人年金で代替できますしね。

自分の老後ためか、国を維持するためのものかという
大きな枠組みでぶれがあるというか、あいまいな点があるのかな。

2年前

2004年9月12日 時事ニュース
2年前の9月12日に書いた日記です。
再掲してます。
思っていることはあまり変わらないし…


9.11に思う
昨日は
同時多発テロから一年。
いくつかのテレビ局で特番が放送されていた。
思うことは多い。

チャンネルをかえると
いつもと変わらないバラエティー番組で
タレントが馬鹿笑いしている。
同時に他の局では、WTCが崩れている。
同じ時間にN.Y.では追悼式典で
犠牲者の名前がすべて読み上げられる。
ペンタゴンでは米大統領の演説。
家を出ればいつもと変わらない。
いつもとなにも変わらない街。

あのテロリストの標的、目的は何だったのか?
たんにWTCにつっこむことではないはず。
ペンタゴンを破壊し、アメリカ合衆国の軍事力をくじくことでもないはず。

人を殺すことですらないのでは?
人が死ぬことは目的の周縁にしか存在しないのでは?

それは見えない暴力への反抗だった。
現代の世界社会構造(国際社会ではない)によってもたらされる、
構造的暴力への反抗。

豊かな人がいれば、貧しい人がいる。
豊かな国があれば、貧しい国がある。
それは構造的に決定している。>

世界の全人口の1割にすぎない人びとのもとに、
世界のほとんどの富が存在するという事実。

日本国憲法の規定する最低限度の生活。
この最低限度のラインは世界全体で見れば、
かなり高い。

しかも、その最低限度の生活を維持するために、
他の人の最低限度のラインを下げているという事実。

豊かな人がより豊かに。
貧しい人はより貧しく。
誰も気づかない見えない暴力。

そんな世界にわれわれは生きてます。

僕は今日もいつも通りです。