わからない事ばかりの事件
2004年6月2日昨日の少女に事件の報道では、「わからないことばかりだ」という言葉が目立つ。
僕はむしろわからないのではなく「わかりたくない」という思いがあるのだと思う。信じたくないのである。
子供が子供をなんて。
まったくもって気持ちが沈む。
これからこの事件についてたくさんの「なぜ」と
それに対するマスコミによるそれなりの「答え」が与えられる。
でもその「答え」は決して完全な答えではなく、
とりあえずこの事件を乗り越えるため(終えるため)の「答え」である。
そうやって知らず知らずの間に事件は解決したかのように忘れられていく。
人の中に生じた「なぜ」も忘れられていく。
そうやって忘れいくことが悪いことではまったくないけれど、
ぼくにはなにかひっかかっている。
僕はむしろわからないのではなく「わかりたくない」という思いがあるのだと思う。信じたくないのである。
子供が子供をなんて。
まったくもって気持ちが沈む。
これからこの事件についてたくさんの「なぜ」と
それに対するマスコミによるそれなりの「答え」が与えられる。
でもその「答え」は決して完全な答えではなく、
とりあえずこの事件を乗り越えるため(終えるため)の「答え」である。
そうやって知らず知らずの間に事件は解決したかのように忘れられていく。
人の中に生じた「なぜ」も忘れられていく。
そうやって忘れいくことが悪いことではまったくないけれど、
ぼくにはなにかひっかかっている。
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